JD(女子大生)3人と恵比寿で話して気付いた幸せの形

 

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こんにちは、青木です。


最近、色々な人と話している中で
幸せの形が変わってきていると感じたので、
気付きをシェアしたいと思います。

 

突然ですが、お金持ちってダサくないですか?

 

その日は“たまたま”恵比寿の個室レストランで
かわいいJD(女子大生)達と話す機会があり、
夕食を食べながら、

 

本○翼似のAちゃん
『お金持ちってなんかダサい。』

 

最上○が似のBちゃん
『お金しかないのに威張っていて付き合うとか無理!』

 


なんて、話していました。
しかも、3人中3人とも同じ事を言っていました。
これを聞いて、ちょっと衝撃が走りました。

 

 

僕はまだ22歳なのですが、
お金持ちがダサいという感覚が無かったので、
今はこんなこと考えている人が多いんだ、
とちょっとショックでした。

 


僕の周りにはそんなに下品な金持ちって居なかったので、
そんな感覚無かったのですが、たしかによくよく考えてみると、
お金しかなくてダサい人も多いよなと思います。

 


一般的にお金持ちというと、そのダサい人たちが
ラベリングされているのが現状です。
だから、そんな風に思う女子大生が多いわけですね。

 

 

ただ、ここまでは今までも沢山の人が話したり、
それこそ雑誌やネットニュースとかで取り上げられていました。
だから、今日はさらに踏み込んだ話をします。

 

 

そんな彼女らがお金をいらないと思っているかというと、
そんなことは全く無いんですね。

 


むしろ、かなり現実的な思考をしていて、
お金に関してはかなりシビアでした。

 

 

年収○○円くらいは欲しいといっているAちゃんや、
お金は今後心配だから資産を持っている人が良いと
かなり具体的なラインを話していた篠崎こ○ろ似のCちゃん。

(具体的な数字は生々しいので秘密でw)

 


お金や資産に対してかなりシビアであると同時に、
『でも、お金や資産しかもって居ない人はありえない。』
と彼女達はいいます。

 


『お金持ち』はダサいけど、お金は必要。

 


なんとも矛盾した感覚だと最初は思いましたが、
話を聞いているうちに色々なことに気付きました。

 


彼女達はお金持ちがダサいんじゃなくて、
夢・情熱・夢中になれるなにか
を持っていない人が嫌いなんだ。

 


そこに思い至ってからはむしろ納得しました。
なぜなら、僕も最近感じていたことだからです。
ただし、見ている方向が別の向きから見ていたのです。

 


少しだけ話がそれますが、今までの日本って、
物質的な充足を求めている時代が長く続いていました。

 


例えば、食料が足りない時代が何千年と続いて、
明治くらいからは技術を求めてきました。

 

 

科学の発展によって、車や電車のような移動手段。
冷蔵庫やエアコンなどの温度を保つ技術。
そして、ラジオ、テレビ、ネットといった情報を扱う技術。

 

 

いままでは、これらの技術のクオリティーを求めて、
物質的な充足をすることが幸せでした。

 


車を持っていない人よりも持っている人、
マイホームを持つのが夢な人も居ました、
薄型の画質のいいテレビがステータスでした。

 

 

でも、最近はそれらがあまりにも
『当たり前』になってしまったのです。

 


いや、正確に言えば、
『当たり前』か『時代にそぐわない』
といったほうがいいでしょう。

 


テレビなんかは薄型で画質がいいのが当たり前。
マイホームや車はそんなのが無くても十分に
幸せでいい生活ができる環境が整いました。

 


だから、そこまで物質的な不満足感を
感じていないんですね。

 


無くなれば確かに困るけれども、
無い時代を経験していない僕らは物に
対してそんなに執着心が無い。

 


というよりも、あるのが当たり前すぎて、
無い状態を想像することができないんです。

 

 

だから、物を買って喜んでいたり、自慢している
『お金持ち』がうざくかんじるのです。

 


何言っているの?そんなの当たり前でしょ?

 


時代じゃないのに何を自慢しているの?

 

 

こんな風にね。
そして、幸せを別のものに求め始めたのです。

 

 

それが人生の充実感。
俺は、私は、今、生きているんだという感覚。
何かに夢中になれる体験をしていること。

 


それが幸せだと感じているのです。
だから、そういった一見『泥臭い』事を
全く表に見せないお金持ちは無理なのです。

 


なるほど、今までが物質的な充実が幸せなら、
これからは精神的な充実が幸せ。

 


こうやって、人の考える幸せの定義が
どんどん変化していく中で、
自分の幸せを見つけた人も居れば、
見失ってしまった人も居る。

 


昔はテレビを持っていればそれが幸せだった。
でも、今は『自分が幸せだと思えるもの』を
見つけ出さないといけないらしいです。

 

 

なんと面倒なことか。
そして、なんと心躍ることだろうか。

 

 

そんなめんどくさい事をできる環境に
居ること自体が人類史始まって以来、
初めてのことなんだと思う。

 


その瞬間に立ち会えていることに感謝しつつ、
自分にとっての幸せをもう一度見つめなおしたい。
そう、気付くことのできた食事会でした。

 

 

追伸、

Aちゃん、ちゃんと本○翼似って書いておきましたよ!(笑)

 

○○似だと個人的には思うんですけどね。
って、また怒られるのでこれ以上は書きません(笑)

 

 

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